びおとーぷコラム9「企業の社会貢献」(2006年2月号掲載)
*2005年6月~ダイナーズカードの会報誌『シグネチャー』で連載されたコラムを、あらためて加筆修正し不定期で掲載していきます。
「 企業 の 社会貢献 」
企業の不祥事が後を絶たない。事件を目にする度に、資本主義における企業の存在意義について考えてしまうのです。また、そもそも企業の果たすべき「社会貢献」とはどうあるべきなのでしょうか?
最近、様々な企業が「CSR報告書」、「Sustainability Report」を発行するようになってきており、一般の消費者も企業の社会貢献活動を目にする機会が増えてきています。ボランティアによる植林活動を行なったり、財団等を通じた地域社会・国際社会への助成活動であったり、被災地の復興支援であったりと、この傾向自体は好ましいものだと考えます。しかし一方で、そういった活動を「報告」すること自体に主眼を置いているとおぼしきケースが増えてきているのも事実です。所謂、IR活動の「ツール」としてのCSR活動。ここでも、真に気持ちがあるか否かが重要になってきます。会社が「法人」として行うだけではなく、例えばボランティア活動を行う社員「個人」を人知れず応援する企業のほうが、何となく本物らしかったりもします。
また、IT化が進む昨今では、ワンクリックによる社会貢献も可能になりました。「ワンクリックで募金ができるサイト」上では、多くの大企業が閲覧者からのクリック回数により募金をする仕組みも出来あがりました。個人が「ワンクリック」という労力を費やすことで、企業がそのクリック回数に応じた金額を寄付する仕組み。寄付金は結構な額になっているのですが、どこか違和感を覚えるのは果たして私だけでしょうか。確かにこの「お金」によって救われるたくさんの命があることは分かっているのですが、これも「企業広告」の一環として行われるのだとしたら、そもそも何のための活動なのかと深く考え込んでしまうのです。ここに共通事項として存在するのは、市場に対する企業の目線。株式資本主義経済においては、企業価値を最大化することこそが大命題であることに間違いはないのでしょうが、企業の全ての活動がその「目的」のための手段として成り下がってしまうのだとしたら、それはとても寂しいことです。
先日、とあるベンチャー企業を訪問した時のこと。「体に優しい素材で作られた石鹸、化粧品などを取り扱うビジネスを、結果として拡大させることで世の中にインパクトを与えていきたい。そのビジネス拡大の過程において、障害者の方々の雇用の場も広げていきたい。それが人生の私の役割なのです。」と語る若い担当者に出会った。彼のまっすぐな目に向き合いながら、私自身も忘れかけていた「あるべき何か~それはとてもシンプルで地道な活動である」を一瞬取り戻したような気がしたのでした。
【編集後記】
eco camp village などを通じて、企業の1社1村運動を広めていきたいと考えている。一つの企業が、一つの村を支援する。間伐、森林保全、漁業体験、などを通じて、ビジネスマンが社会に対する広い視野をもつようになる、そんな仕組みを広げていければよいと思う。











